山吹薫の独り言 その⑤  〜ふとした時に浮かぶ思い出〜

総論

そこはいつもの休憩室。穏やかな西日の差し込むいつもの場所は、いつもと違って慌ただしい。

「・・・って事はえぇ!自分は前にも先輩の授業受けてたんすか!?」

白波百合は手足をバタつかせて、間抜けに口を開いている。それは君が大体寝ていたり、ポヤンとしていたからだと、山吹は言葉に出さずにそう答える。

「薫さ・・・山吹さんが来られていた時によく質問させて頂いておりましたわ!まさか思い出して頂けるだなんて・・・」

「また薫様って言おうとしたやろ・・・でもそれは流石のウチも驚きやわ。確かに教え慣れているなぁとは思てたけど。」

桜井玲奈は両手を組んでポヤンと独り言のようにそう答え、坪井咲夜はため息交じりにそう答える。まぁ今の今まで忘れていたとは決して言えないなと山吹薫は視線を逸らし、その時の事が記憶の奥底からやんわりと浮かび上がってくるのに身を任せた。

・・・・・・「絶対に無理です!」

そう山吹は業務後のリハビリ室で内海青葉にそう答えた。ゆるい曲線を作る髪型はさながらキノコのようだと思う。眼鏡も丸いから尚更だと思った。そのお話は今や遠い昔、まだ自分のキャリアも浅い時の事だった。

「いいじゃーん。ちょっとボクが忙しくなるからさぁ。奥さんが入院中なのさー。子供が産まれそうなんだよねー」

「それもまた色々驚きましたが!学校で先生なんて無理です!そうだ主任がやれば良いでしょう!」

山吹は主任である石峰優璃へと視線を移す。石峰はデスクに寄りかかり、腕を組んだまま、あっはっはと盛大に笑い声をあげる。成人しているかも怪しいその幼い顔立ちと、小柄な背丈を大きく仰け反らせた。笑い声に合わせて、毛先の細い長い黒髪は光を透過し黄金色にも見えた。

「まぁ何事も経験だよ。君も随分と学んできたからな。いずれ自分の後輩にも指導せなばならんのだ。良い経験だよ。」

デスクに置かれた黒い犬のマグカップからはインスタントコーヒーの酸味を纏う香りが立ち昇る。主任に言われてはぐうの音も出ない。だけども・・・と山吹は口を尖らせる。

自分が人に教えられるとはとてもじゃないが思えないし、この救急科のリハビリテーション室で働いて3年目になっても新人が来ないから、まだ新人と呼ばれている。その現状もまたその気持ちに拍車をかけているのも分かる。それでも・・・と山吹は口を開く。

「まだまだ僕は教えてもらう立場ですよ?できるはずがありません。」

「まぁそういうな。いつまでも教えてもらえる立場ではいられない。私だっていつまでも此処に居られる訳ではないかもしれんぞ?」

石峰はまるで陶器のように白い肌で彩られた細い腕を組み直し、内海へなぁと声をかけた。

「そうそう。それにもうボクの母校の先生には伝えちゃったからさー。大丈夫。授業の資料はボクの使って良いからさー。それにほら見てよー!ボクの家族写真!みんな可愛いでしょー」

どれどれと石峰と山吹はそれを覗き込んだ。なんだかうまく煙に巻かれてしまったなと山吹はそう思う。だけどもこの仕事を成し遂げたら、もう新人とは呼ばれないのではないか。そう淡い期待が無いことも無い。

やってみるか。そう思いつつその家族写真を覗き込み、主任がケラケラと笑うのに合わせて、山吹もまた笑みを浮かべた。

・・・・・・・どうして過去の日々は唐突に浮かび上がっては淡く消えていくのだろう。山吹はその時の生徒だった今やプロのセラピストを眺める。

「山吹さんの授業はとても楽しみにしていましたの!今でもルーズリーフは大切にとってありますわ!」

「それにしても桜井君は見た目が随分と変わったな。昔はこう・・・もっと大人しい姿だったような・・・」

記憶の中の桜井という生徒は、長いしっかりとした黒髪を纏めていて、厚い眼鏡をかけていたような気がする。それでも良く質問に来てくれていたから、その声は覚えていた。その隣で白波はうーん。と腕を組んで首を傾げる。

「それにしてもっすよ?何で玲奈ちゃんは先輩の事を覚えていて、自分は先輩の事を覚えていないのが謎っす。」

「・・・君は授業中何をしていた?」

「それはもう熱心に授業を・・・」

あらあらと桜井は口に手を当てながら白波の瞳を覗く。

「そうですわね。熱心に空想に耽ったり、睡眠を貪ったりしておりましたものね。」

「アンタ・・・昔からそうやったんやな・・・」

今は違うっす!と坪井に向けて口を尖らせる。確かに今はそうだなと山吹は思う。しかし現在は過去の延長線上にあるのだから、どこかで繋がっているのは当然だ。だけどもこんな事も有るのだなと山吹は休憩室の窓の外を見た。

それにしても青葉さんの家族・・・子供はまぁそうとして、妻までなぜそっくりなのだろう、それに髪型まで・・・とその情景を思い出して再び笑みを作る。ケラケラと少女のように笑う主任の声もまた遠くで聞こえる。

そんな気がした。

【これまでのあらすじ】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。

【これまでの話 その①】

【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】

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理学療法士。作家。つむぎ書房より『看取りのセラピスト』を出版。理学療法士としては、回復期から亜急性期を経て、ICUを中心に働き内部障害を中心に患者へと関わる。ご連絡はこちらからも→Xアカウント(旧Twitter)@tanakan56954581 他にも多くの小説ストックあります。

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